バドミントン部

理化電機のバドミントンは、会社内の中庭で始まりました。上級者の福島さん指導で、「理化電機バドミントン部」が誕生し、確か?定時後に目黒体育館で本格的な練習が始まり、目黒区の大会に出場するようになりました。

理化電機バドミントン部会長?である福島さんの結婚式(1973年10月)
理化電機バドミントン部の新年会(1999年1月16日)約20年前になります。

私は退職後リオンバドミントン部で練習継続

1973年に理化電機を退職した私は、すぐに国分寺のリオンに入社し、リオンバドミントン部で練習を再開しました。しかし、大した活躍はできず、腰痛とヘルニアに苦しみ約30年間のバドミントン人生に終止符を打つことになりました。

リオンバドミントン部

スワンクラブのコーチを25年間

昭和51年(1975年)から約25年間、国分寺のスワンクラブ(家庭婦人クラブ)のコーチをしました。 下の写真は国分寺市家庭婦人連盟「20周年記念誌」の写真です。 発足当時から残っているメンバーは左下の3名だけでした。

国分寺市家庭婦人連盟「20周年記念誌」 より(1995年)

そして、70歳で15年ぶりにバドを再開したのだが・・・

定年後に1人で起業した「ピークル計測」が順調すぎて、約15年間バドは一切できませんでした。昨年から後継者に仕事を任せることが出来たので、今年2019年の夏から、やっとバドミントンが出来る時間ができました。そこで、無謀に15年前のラケットを握ることを決心した。が、しかし、年齢は70歳となり体力も筋肉も激減して、空振りからのスタートとなった。さらに、ふくらはぎの肉離れで3週間のドクターストップとなったりで、体力の限界を自覚した今日この頃です。

2019年8月30日、無謀にも15年ぶりにバド練習を再開したが・・・

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投稿日:2019-11-28 更新日:

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